Interview
BAN×NOMURA対談

復活への遠い道程
--野村選手はアトランタ五輪以来、3大会連続で金メダルを獲得しています。五輪での金メダルを獲得した場合、すぐに次の五輪へと気持ちは向かうものですか。

野村「五輪が終わって、すぐに次という風にはならないですね。やっぱり、4年は長いですよ。競技者として年令も考えんといかんし、自分で勝てないと思って競技にしがみつくのは自分じゃない。勝負に勝てる自分を作る自信がなければ五輪は目指せないんでね。1位以外は一緒。そういう世界で生きているんで。五輪は、サッカ-でいうとW杯か」

播戸「出たことない。けど、やっぱ出たいですけどね。五輪もあったけど自分は出れんかった。サッカ-は、W杯とか大きな大会が終わってもすぐにリ-グ戦が始まるんですよ。あれこれ考えている間もないまま試合をこなしていかなあかん。でも、大会に出た選手はたいがい調子を落としますね。あれだけ熱狂的な中で試合をしてくると、なかなかモチベ-ションが上がらないと思います。だから、野村さんの気持ちは理解できる」

野村「自分の場合、次の試合じゃなくて、次の五輪までやれるかどうかを冷静に考えるんよ。中途半端に練習しても意味がないんで、4年後の自分が見えた時、またスタ-トする感じかな。そうなるまで1年ぐらいかかる。シドニ-五輪が終わった時は、2年間柔道から離れたし……」

播戸「2年休んで、そこからやるのはサッカ-では考えられへん。それだけ休むとキツイのは肉体的、それとも精神的なもの」

野村「う-ん、最初は肉体やね。やり始めた時はなんとかなるやろって思っても体はナマっているからね。で、鍛えて肉体がイイ感じになっていくと、今度は精神的にキツくなってくる。体力的に戻ってきているけど、自分のイメ-ジ通りにできない。体力が戻ってきているのに微妙な部分がうまくいかないと、かなりストレスになるね」

播戸「そうやろなぁ」

--お二人は、世間やマスコミの評価とか評判とか気になりますか。

播戸「気になるけど、最近は気にしないようにできるようになった。新聞とか雑誌最近あまり見ないし、自分でいろいろ判断した方がええと思うんで」

野村「俺はアテネ五輪の前ぐらいに、自分の目指すところを見て、焦らずにそこに行けるって思うようになってから周囲の声は気にならないようになった。けど、シドニ-五輪後に復帰した時は最悪やったよ。試合に負け続けて、『野村は年やし、もうダメだ』って、さんざん周囲から言われた。さすがに俺も少し落ち込みそうになった。でも、アテネ五輪で金メダルを取ったら天才・野村って言われたけど(笑)」

播戸「分かりやすいっすね(笑)」

--注目されるのは好きですか?

野村「好きですね。注目されて期待されることはプレッシャ-になるけど、好きかな」

播戸「プレッシャ-がないと、おもしろくないし、やりがいがない」

--サッカ-は、代表だと活躍すれば誰でも取り上げられるけど、柔道の場合、ヒエラルキ-が存在しますね。同じ金メダルでも野村選手よりも谷亮子選手の扱いが常に大きいですが、「なぜ」という思いはありますか。

野村「それがマスコミでしょ。でも、俺は谷のすごさを分かっているから、谷に対してどうこうっていうのはない。実際、谷は世界選手権7連覇してるし、産休以外ほとんど休まずにやっているからね。すごいよ。ただ、逆に10代で黒帯王子とか言われて実績も何もないヤツが出てきて、俺が端っこに追いやられたら、さすがにキレるけどね(笑)」

播戸「黒帯王子って(笑)」

野村「最近、ガンバにもおるやろ。若くてイキがいいのが。ことばが悪いから王子にはなれんけどな」

播戸「安田ってのがいますけど、そうなんですよ。ちゃんと教育しておきます。いや、オフに1回、野村さんに鍛えてもらった方がええっすね。でも、柔道も若い世代の突き上げってあるんですか?」

野村「ないね。大学4年から25歳ぐらいまでで強くて、元気があるのはおる。実際、試合しても競ったりするけど、こんなヤツが出てきたらあかんやろっていうのはない」

播戸「若い選手にアドバイスとかは」

野村「せぇ-へん。全日本でも天理大学の練習でも60キロの階級のヤツとは後輩だろうと柔道の話はほとんどしない。ヤツらとは、どっかで勝負せなあかんからね」

播戸「それは、FW同士にもあるよ。コンビネ-ションを作っていかなあかんけど、最後に誰が点取るねんってなったら、それは自分やって思うやん。ポジション争いをしていたら余計にそう思うしね。だから、理解はし合うけど、仲良くはできん」

野村「柔道は、階級で一人しか五輪に出られへんからね。だから、俺の技を見て盗めとかも思わへん。俺の技は、おまえらには盗まれへんって思っているよ」


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