ーまずは、柏レイソルへの移籍を決めた理由を教えて下さい。
「もともと僕は高校を卒業するまでずっと、地元の千葉でプレーしていましたから。いつかプロとして千葉でプレーできたらいいなという思いは胸の中にいつもあったんです。ただ、そうそう全てが自分の願い通りにいくはずもなく…。それに今年に関しては京都をJ2に落としてしまった責任も感じていたので『1年でJ1に復帰させるために力を尽くすしかない』という思いも強かったのですが、一方で、クラブとの契約交渉をする中で、あまり必要とされていないのかな、と僕自身は感じていて。そんな中で今回、柏から話をいただいて、こんなチャンスはそうそうあるわけじゃないな、と。漠然とですが、30才を過ぎて、引退が近づいた時に最後のクラブを地元で、というイメージはあったけど、そんなチャンスだってあるとは限らないですからね!なら、思い切ってチャレンジしてみようと思い、決断しました。そうはいっても、かなり悩みましたけどね。さっきも言ったようにJ2に降格させてしまった責任も感じていたし、京都は自分がプロ生活をスタートさせてから一番、試合経験も積ませてもらったクラブですから。その中ではサイドバックという新境地も開拓して、プレーの幅を拡げることもできた。それに…最初こそ“関西”に対する壁がかなりあってなかなか関西という土地にも関西弁にも馴染めなかったけど、3年もいれば愛着も沸きますからね!いや…関西弁には最後まで一向に馴染めなかったけど(笑)、でも、仲間にも恵まれた3年で、サッカー選手としては充実した時間であったことは間違いないですから。というようなことを総合しても、『千葉』のクラブじゃなければ移籍という選択はしなかったと思う。」
ー関西弁にはそんなに壁を感じました(笑)?
「いやぁ、感じましたね。例えば僕が『〜〜だよ』とか『〜〜じゃん』って使った時の反応の冷たさと言ったら、半端なかったですから!それに、言葉ひとつとっても、たとえば『赤』の発音も関西と関東では違うじゃないですか?そういうのにいちいち気を遣う自分にストレスを感じていたりもして…。もちろん、これは自分の気持ち次第というか、同じ市立船橋出身の聡太くん(DF中澤/G大阪)みたいに、そんなことを全く気にせず自分のワールドを作り上げている人もいると思えば(笑)、僕自身が壁を作っていたことに問題があるとは思うんですけどね。」